ハワイを学ぼう【歴史編】ハワイの英雄『デューク・カハナモク』

今回はハワイの伝説的な人物「デューク・カハナモク」についてお話しします!

デューク・カハナモク像

みなさんはワイキキビーチのデューク・カハナモク像をご覧になったことがありますか?

ワイキキビーチにある像は有名なので見たことある人も多いと思いますが、

じゃあデュークさんってどんな人?

と言われてうまく説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

実はデューク・カハナモクはハワイの英雄であり、サーフィンのパイオニア、そして世界的なスポーツ選手だったんです!

すごいですね、まさにハワイの伝説的な人物です

今回は生い立ちからオリンピックでの活躍、そしてサーフィン文化への貢献まで、デュークがなぜハワイの英雄と呼ばれるのかを一緒に学んでいきましょう(^^♪

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デューク・カハナモクの生い立ち

デューク・カハナモクは1890年8月24日、ホノルルで生まれました。

1890年代はハワイ王国にとっても激動の時代でして、ハワイ王国の時代が終わり、ハワイの言葉や信仰、価値観、伝統文化を守っていくことが困難な時代でした。

■1890年代のハワイでの出来事
・1891年 カラカウア王が客死
     リリウオカラニがハワイ王国第8代目の女王となる
・1893年 リリウオカラニ女王幽閉
・1894年 ハワイ共和国の誕生
・1898年 アメリカがハワイを併合し準州となる

フラやサーフィンの文化は隅へ追いやられ、ハワイの人々はハワイ人としての誇りさえ失いかけていました。

そんなときに現れたのが、まさにワイキキの海で育った純血ハワイアン、デューク・カハナモクでした。

ちなみにデュークの身長は185cmでワイキキビーチの銅像は等身大みたいです!

オリンピックでの活躍

デュークは水泳で驚異的な才能を発揮します。

1912年のストックホルムオリンピックに出場し、水泳の自由形で世界記録を出して金メダルを獲得しました。

この記録は世界を驚かせ、彼はハワイの英雄として一躍有名になります。

その後も彼は1920年のアントワープ五輪、1924年のパリオリンピックでもメダルを獲得しており、
まさにハワイの人たちにとってのヒーローになりました。

サーフィンのパイオニア

水泳で驚異的な記録を打ち出したデュークですが、後世にもっとも大きな影響を与えたのはサーフィンといえるかもしれません。

デュークは世界を舞台に活躍するなかで、大好きなサーフィンを行く先々の海で実際にやってみせながら広めていきます。

アメリカ本土やオーストラリアで人気がでて世界中に広がっていったので「現代サーフィンの父」とも呼ばれています。

デュークはトリッキーなサーフィンではなく、伝統的なハワイのサーフィンを好み「パパ・ヌイ papa nui(大きな板)」と名付けられた巨大なロングボードを愛用していました。

この「パパ・ヌイ」ロングボードは長さ4.8メートル、重さ52kgもあったそうです。
ちなみにハワイ古来より親しまれてきたハワイアン・コアでつくられていたみたいです♪

まさにアロハスピリットの人格者

デュークはスポーツ選手としてすごいだけではなく、その人柄も素晴らしかったようです。

海難救助にも貢献し数多くの人の命を救ったり、ハリウッド映画にも出演したり。
ハワイ親善大使として活躍するなど、まさにアロハスピリットそのものとしてハワイの人たちからも愛されていました。

1968年に77歳で亡くなりましたが、1990年にはワイキキビーチにデューク・カハナモクの功績をたたえる銅像が設置されハワイの象徴的な存在となっています。「1968年に77歳で亡くなりましたが、1990年にはワイキキビーチにデューク・カハナモクの功績をたたえる銅像が設置されハワイの象徴的な存在となっています。

終わりに:ハワイに行ったらぜひデューク・カハナモクにあいさつをしよう♪

いかがでしたでしょうか。

デューク・カハナモクのストーリーを知ることで、ワイキキビーチの銅像も身近に感じられるかもしれませんね。
次にハワイを訪れたときには、ぜひデューク・カハナモクに挨拶をしにいきましょう!

次回の更新もお楽しみに!MAHALO♪

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この記事を書いた人

ハワイが好きすぎて毎年通う30代の日本人クリエイター🌺
まだまだ知らないハワイの魅力を開拓して楽しんでいます✈️

”ハワイをもっとワクワクする場所へ”をコンセプトに、ハワイ旅行体験談の発信やグッズ販売、旅行プランニングを行っています(^^♪

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